心のこもった地域医療をめざして。からだの不調・不安のご相談承ります。山形天童で内科・消化器科をお探しなら宮脇医院へ。
お知らせ
昭和44年10月宮脇法親がまわりは建物もあまりない田畑の広がる昔なつかしい天童の温泉街に宮脇産婦人科医院を開院しました。
私は幼少期に天童市にやって来ました。その頃まわりは田んぼが広がり舞鶴山の裾野までずっと見渡せることが出来るほど何もない自然の風景でした。夜になると温泉街のにぎやかな昭和の歌謡曲、カラオケの声、観光客がゲタをカッポカッポと鳴らしながら大きな声で楽しそうに酔って、天童温泉の歓楽街で楽しむ声や音を聞き夏にはカエルの歌声を聞きながら眠りについていました。幼稚園から小学生のころは多くの友達と春夏秋冬毎日、舞鶴山を駆け巡り、夏になると自転車を飛ばし乱川や河原子、山口地区までクワガタやカブトムシを探してつかまえに行く日々、田んぼでどじょうや水かまきりをつかまえ冬は舞鶴山でソリやミニスキーを暗くなるまで、毎日のように友人達と天童市を縦横無尽に走りまわって遊び過ごし、ここには書けないような悪さごともいっぱいしていました。
昭和の時代は知らない大人の方々もまったく知らない子供にも悪さしているところや危ないことをしているのを見かければ本気で注意し怒ってくれました。追っかけてきて怒ってくれる方もいたくらいです。好奇心をくすぐられ友達といっしょにやりたいこと楽しいこと遊びたいことがいっぱいありすぎて、宿題どころか勉強もまったくせずに遊んでばかりでした。学校も遊びに行って美味しい給食を食べに行く場所でした。自分にとってそんな暖かな楽しい思い出がいっぱいつまっている故郷、天童市です。
高校3年の夏、大好きだったアイドルの女の子が出演している医療ドラマを見て、こんなに素敵な看護師さんと働けるなんて最高だ!!とそのことがきっかけで医師を目指しました。医師になりたいと思うきっかけ、ヤル気スイッチが入るきっかけがそれじゃ、
なんだかなって感じでカッコ悪いですが自分は本当にそうでした。そこから本気で勉強を始めたわけですが嫌いで慣れない勉強をはじめて3日後に高熱を出してしまいました。
身体が勉強に拒否反応を示し一気に弱ったのだと思っています。それでもなんとか医学部、医師国家試験まで乗り切ることが出来ました。
子供の頃の自分を知っている友達や大人の方々は、あんな勉強もせずに遊んでばかりで悪さばかりの宮脇に診察してもらうのはイヤだな!と思われているかもしれませんが、、
幼少の頃からの暖かな思い出がいっぱい溢れている地元、湯の街天童で医師として頑張れること過ごせること、体への不安、病気への不安を抱えて来院された方が「元気になったよ」「安心したよ」と笑顔を見せてくれた時、この上ない喜びと、ますます頑張ろうと感じます。
父はもういませんが、これからは私自身が体への不安、病気への不安を抱えた方が笑顔になれるお手伝いをしたいと思います。
宮脇医院 院長 宮脇 元彦








昭和44年10月、父 宮脇法親が、まわりは建物もあまりない田畑の広がる昔なつかしい天童の温泉街に宮脇産婦人科医院を開院しました。
私は幼少期、舞鶴山や田畑を毎日のように友人達と走りまわって遊び、過ごしました。勉強もせずに遊んでばかりでしたが、父が何だかんだと私を今の仕事に導いてくれました。
暖かな思い出が、いっぱいつまった地元、湯のまち天童で医師として過ごせること、体への不安、病気への不安を抱えて来院された方が、「元気になったよ」「安心したよ」と笑顔を見せてくれた時、この上ない喜びと、ますます頑張ろうと感じます。
父はもう、いませんが、これからは私自身が、父が行ってきたような、体への不安、病気への不安を抱えた方が笑顔になれるお手伝いをしたいと思います。
宮脇医院 院長
宮脇 元彦
経歴
地元天童市で幼少期を過ごす。


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